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一章 雨 桃源郷

 降りしきる雨が地面に跳ね返り、泥水がかかる。
 着替える服はおろか、行く当てすらない。
 それでも、母が手を引くので私は歩くしかないのだ。
 うつろな目で前を見る。
 ・・・・・色彩は思い出せない。

「奥様」
 そばかすだらけの娘が覗き込んでいる。
「・・・・ああ」
 気分が悪い、喉がカラカラだ。
「水を持ってきて頂戴」
 そういうとすぐに、淡緑の瓶に入った水が出てきた。
 垢抜けない娘だが、気立てはよい。
「楊采(ようさい)」
「なんでしょう?奥様」
 楊采と呼ばれた娘は、何気なく、その婦人をみる。
 それこそ、積もったばかりの雪のように一辺の汚れもくすみも無い肌に、長い漆黒の髪。
 その美しい婦人がふわりと顔を近づけてきた。
「ねえ・・・もし、私がここを出るときは、貴女に付いてきて欲しいのだけど」
 心臓がバクバク音を立て始めた。
 実は、この婦人、自分とさほど年齢の変わらない少女だ。
 しかし、その紅色の豊かな唇は、大人の色香があり、女の自分ですら、どうにかなってしまいそう。
 ・・・・そんな風に思えてしまう。
「あ・・・あたしなんかが・・・いいんですか?」
 その存在に心酔する自分が居る。
「ええ」
 婦人は、にこりと笑うと夜着のまま、窓際に立った。
「・・・今日は」
 外を見るとザア・・・と静かな一定の音を立てながら、雨が降っていた。
 雲が厚い、この雨はしばらく降り止まないだろう。
「雨の日は・・・嫌いだわ」
 思い出さなくていい事を思い出してしまうから。

「紅錦香(こうきんか)」
 薄紅の着物に身を包み、髪を高く結い上げた婦人は、主人の所へ姿を現した。
 人の良さそうな精悍な男だ。身なりも整えられている。
「良かった・・・何日も姿を見せてくれないから」
 男は妻に歩み寄り、肩に手を添える。
「あれから、いろいろ考えたんだよ」
 男はゆっくりとなぞるように話し出す、おそらく何度も葛藤し出した答えなのだろう。
「俺は、あいつに騙された・・・いいように利用されていたんだ」
「そうね」
 紅錦香は間を置かずに答えた。
「・・・それで、私は維邦(ゆいほう)様の所に嫁げばいいのかしら?」
「ちょっ!ちょっと待ってくれ!!」
 泣きそうな表情で、男は紅錦香を抱きしめた。
「確かに君を差し出せば、維邦は借金をすべて無かった事にすると言っている」
 男は紅錦香の顔を触りながら、確かめるように言った。
「でも、俺は、君を失ったら生きられないんだ・・・どうしても諦められない」
「・・・・・」
 その言葉を、紅錦香は無表情で聞いていた。
「・・・それで?」
「俺は・・・」
 一呼吸置くと、男は紅錦香を見据えて言った。
「すべてを失っても、君と一緒に居たい・・・付いてきてもらえないだろうか」
 男には確信があった。彼女は幼少の頃から彼と共にある。
 彼の妻にすべく、家に入った養女だったから。
 ・・・・しかし
「ふふふ」
 紅錦香は笑った。口元とは一変、険しい目を向けると手加減の無い平手を打った。
「・・・なっ!?」
「・・・貴方・・・勘違いしているわ」
 冷ややかな目。
「腹立たしいから、言っておかなくちゃ・・・借金があるから、代わりに私が欲しいんじゃない。
 私が欲しいから、借金を作らせたのよ」
 しだいにその表情は妖艶な微笑を浮かべる。
「・・・え?」
「維邦様は、貴方とは比べ物にならないほどのお金持ちだもの・・・少し機嫌をとってあげたら、すぐにその気になったわ」
「・・・その時には、既に私と・・・」
 そうそうと紅錦香は相槌を打つ、ささやかな事のように。
「言ってあげたわ”主人は私の事を愛しているから、ちょっとやそっとでは手放さないわよ”

って」
 うふふと楽しげに笑う。
「・・・少しだけ協力もしてあげたの、上手く事が運んで良かったわ」
「・・・・・そんな」
 愕然とした男はその場に崩れ落ちた。
「全部、お前が仕組んだ事だったのか・・・」
「そうね」
 紅錦香は男を見下ろした。男の方がわなわなと震えだした。
「・・・維邦は・・・」
 声を震えさせながら男は言う。
「正妻がいる・・・その一族の財産でのし上がってきた男だ」
「ええ・・・だから何?」
 整った顔の眉間が、若干動いた。
「・・・お前の事なんて”遊び”でしかないんだぞ!」
 必死の表情で続ける。
「気に入った別宅を作ったから、そこに女を置いて侍らせたい・・・それだけだ」
「だから?」
 ひたすら煩わしいだけだが、男はそれこそ懸命に彼女の足に縋った。
「君を本当に愛しているのは、俺だけだ!!・・・俺が」

ガッ!

 とうとう鬱陶しさに我慢できなくなり、紅錦香は男を蹴飛ばした。
 地面に付いた頭を足で踏む。
「あんた一体、何様よ?聞けば都合のいい事ばかり」
 朝見た夢が頭をよぎる・・・彼女はぞっとするような冷酷な顔をする。
「貧しいのが嫌いなの、愛なんて入らないわ・・・解った?」
 男がふるふると震えているのが解る。
 足とどけてやると、怒りに任せて立ち上がり、男は胸ぐらを掴かんできた。
「いいの?」
 紅錦香は動じない。
「傷モノにしたら、貴方が困るわよ」
 男は我に返った・・・不本意ながらも、着物から手を離す。
「ねえ、楊采を私にくれない?」
 先ほどのそばかすの娘の事だ、男は皮肉を込めて言った。
「・・・君はあの娘を可愛がるね」
 いいえ、と紅錦香は首を振る。
「あの子が一番、私の髪を結うのが上手なの・・・それだけよ」
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